長倉牧の軽井沢比定説について-3D地図などによる検証-

icon_1r_48「千曲」No.160、長倉牧 

古代における天皇家の牧場の一つ、「長倉牧」が軽井沢にあったとされてきました。ところがその遺構とされる土堤が、3D地図などにより古代末に流れてきた追分火砕流の上に載っていることが明らかになりました。何人もこの土堤が中世以降のものであることを比定できませんから、土堤も長倉牧のものでないことは明らかです。近年の学術書の多くは、これも軽井沢とされてきた長倉駅や長倉神社が農業生産力の乏しい軽井沢にあったとするには無理があり、小田井あるいはさらに標高の低い佐久市あるいは小諸市にあったとしていますが、本論文は長倉牧も同様であったと結論付けています。