柴五郎らによる軽井沢地域の迅速測図と軍馬育成計画

柴らによる迅速測図と軍馬育成計画

この論文は日本地図学会の機関誌『地図』、Vol.55、No.3、通巻219号、2017に掲載されました。

陸地測量部(現在の国土地理院)による最初の5万分1地形図が大正元年に発行されます。この20年以上前の明治22年に、義和団事件の際、国際的に勇名を馳せ、後に陸軍大将となった柴五郎らによって1万分1地形図が作成されています。明治22年といえば直江津-上野間の鉄道が開通した翌年、また軽井沢が別荘地として使われだして間もないころであり、未だ、原野が卓越した当時の面影を伝えています。

この地図は軍馬育成所を軽井沢に設置するため、陸軍参謀本部の事実上のトップ、川上操六の命令により作成されたものと思われますが、鉄道が急速に全国に普及し、軽井沢の「卓越性」が相対的に下がったことにより軍馬育成所は実現しませんでした。