中山道鉄道開通を見こした明治中期の軽井沢における開発行為-軍馬育成牧場と避暑・別荘地-

明治中期の軽井沢における開発行為 縮小版

この論文は、東信史学会の機関誌『千曲』の第164号、2017に掲載されました。

軽井沢を通過していた信越本線は、そもそも中山道鉄道として計画され、敷設が進められました。中山道鉄道は、意外にも我が国唯一の幹線鉄道として位置づけられ、例の横浜-東京を結んだ最初の鉄道も、その支線に過ぎませんでした。このように中山道鉄道の位置づけは極めて高く、その利便を享受すべく沿線での各種の開発行為が計画され、実行されました。しかし軽井沢の歴史研究において、このことは充分には検討されてこなかったように思います。

鉄道の利便を真っ先に理解し、早く手を打ったのは、軍であり外国人でした。