軽井沢・雲場池の起源と推移 軽井沢の雲場池は観光の一中心です。軽井沢の地誌や観光案内の諸本・パンフレットの類いにこれについての解説がなされていますが、必ずしも現地調査や資料の収集分析が充分とはいえず、正確性に欠けるうらみ […]
浅間山天明大噴火による火砕流は、長野県側集落に肉薄しなかったのか -地元民からの問題提起-
濁川源泉部を埋没させた浅間山天明噴火物の正体
濁川源泉部を埋没させた浅間山天明噴出物の正体 浅間山は天明3年に大噴火しましたが、その際に、濁川という、佐久盆地の米作りにとって重要な河川の源頭部、「血ノ池」が約6m埋まり、幕府の援助の下、延べ1万7千人で土砂を取り除い […]
中山道鉄道開通を見こした明治中期の軽井沢における開発行為-軍馬育成牧場と避暑・別荘地-
明治中期の軽井沢における開発行為 縮小版 この論文は、東信史学会の機関誌『千曲』の第164号、2017に掲載されました。 軽井沢を通過していた信越本線は、そもそも中山道鉄道として計画され、敷設が進められました。中山道鉄道 […]
柴五郎らによる軽井沢地域の迅速測図と軍馬育成計画
柴らによる迅速測図と軍馬育成計画 この論文は日本地図学会の機関誌『地図』、Vol.55、No.3、通巻219号、2017に掲載されました。 陸地測量部(現在の国土地理院)による最初の5万分1地形図が大正元年に発行されます […]
昭和12年作成・輕井澤町航空測量寫眞圖の「発見」と戦前の写真測量事情
軽井沢町航空写真図の発見と戦前の写真測量事情 この論文は日本地図学会の機関誌『地図』、Vol.55、No.1(通巻217号)、2017に掲載されました。 軽井沢町歴史郷土資料館(離山)の片隅に、航空写真測量図が掲げられて […]
近世移行期における浅間根腰三宿の移動-あわせて3D地図の有用性を検証する- その一 軽井沢宿、 その二 沓掛宿・追分宿
近世移行期における浅間根腰三宿の移動 これまでも軽井沢地方の各宿場は、元々は別の場所にあり、火災や洪水などの災害により今日の場所に移ってきたといわれてきました。しかしいずれも確かな資料がなく本当かどうかもわかりませんでし […]
長倉牧の軽井沢比定説について-3D地図などによる検証-
「千曲」No.160、長倉牧 古代における天皇家の牧場の一つ、「長倉牧」が軽井沢にあったとされてきました。ところがその遺構とされる土堤が、3D地図などにより古代末に流れてきた追分火砕流の上に載っていることが明らかになり […]
別荘地・軽井沢の発展過程の研究 その四
信濃史学会誌「信濃」、第68巻、3号、2016、掲載 別荘地・軽井沢の揺籃期を語るにはタブーがあります。当時、外国人の不動産取得は禁止されていたので、日本人名義で別荘を取得したのですが、それは脱法的行為でした。明治20年 […]
別荘地・軽井沢の発展過程の研究 その三
信濃史学会誌「信濃」、第68巻、第2号、 2016、掲載 カナダ生まれの宣教師・ショー師が今日の軽井沢をもたらした、との言説は、軽井沢を扱った書き物にあふれています。しかし彼の行為の何がそれに該当するのかということになる […]