碓氷峠道の変遷(上)、(下)

icon_1r_48碓氷峠道の変遷、信濃史学会誌「信濃」、Vol.65、No.1、3、2013、掲載

 

多くの方は誤解していますが、尾根は山地の中で最も穏やかな地形をなしています。川の浸食が最も弱いからです。山で遭難しかかったら、下るのではなく登れという金言、あるいはスキー場の初級・中級斜面の多くは尾根であり、上級斜面は谷であることが多い、などはそのためです。

関東地方と中部地方を区切る碓氷峠、そこを近世の中山道、中世、古代の東山道が越えていきました。しかし碓氷峠をはさんでどの地点を通っていったのか、よくわかっていませんでした。私は先ず中山道について、現地調査に加えて、伊能図や江戸時代に作成された絵図を参照し経路を検討しました。その結果、時代がさかのぼるほど尾根あるいはそれに近いルートを取っており、次第にトラバース道へと変化していることを突き止めました。尾根を辿る道の弱点はアップダウンがあったり、勾配の変化がはげしく、疲れてしまうことです。そこで時代が下るとともに工事を積み重ね、歩きやすいように勾配をなるべく平準化したトラバース道に変わっていったのです。
東山道の時代、それは碓氷峠ではなく入山峠を通っていたとの説があります。しかし当時の土工力では、入山峠を規格の高い官道を通すことは無理だったと考えています。現代では、入山峠を通過する碓氷バイパスをはじめ自動車道路のほとんどが谷沿いに走っていますが、それは明治以降、大量の土工力を動員した結果であり、長い歴史上からは特異な現象なのです。