大正末~昭和初年における軽井沢の実像ー医院診断書より見るー

icon_1r_48 東信史学会誌「千曲」、第155号、2014掲載

軽井沢は華やかなイメージで語られがちですが、直視しなければならない厳しい現実もあります。
「死亡診断書」や「健康診察書」は個人情報の最たるものであり、通常は第三者の目に触れるものではありませんが、大正末~昭和初めの「控え」が軽井沢のある医院の子孫宅に残っていました。それが語るものは、庶民の厳しい生活や多い密淫売です。これらは当時の他の地域と極端に異なるものではなかったかもしれません。しかし軽井沢には極端に大きな経済格差がありました。「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」という言葉がありますが、例え貧しくとも皆が同様であれば貧しいとは自覚しないものです。他との比較によってそれを知り、彼我の差が極端に大きければ、惨めな思いをすることも多かったでしょう。これは現在にも通じる軽井沢の問題です。
また軽井沢は戦後に至るまで自殺を目的に来訪する場所でもあったようです。
論文はこれらを明らかにします。